見えてきた、南知多が抱える組織問題の本質とは?|トップダウン型プロジェクトマネジメントの向上
「組織改革のためにまずは管理職の能力向上が第一だ!」
「プロジェクトマネジメントを向上して組織改革をしよう。」
このように意気込んで始めたトップダウン型プロジェクトマネジメントだったが、思うようには成果が得られず、組織改革の難しさを痛感した。
そして改革は、開始直後から3ヶ月間、完全に停止した。
【南知多町の組織改革4施策のうち、今回紹介するのは1つ目】
南知多はトップダウン型マネジメント能力向上プロジェクトを通じて、プロジェクト当初思い描いたような成果は得られなかった。だが、これにより問題の本質が見えた。このしゃがみ込みは、その後大きく飛躍する屈伸になった。
これが、偽りなく、トップダウン型マネジメント能力向上プロジェクトで得られたことだと言えるだろう。
この記事では、初期戦略としてやり始めたトップダウン型プロジェクトマネジメント計画において、どのようなやり取りがあったかや、どのようなアドバイスをもらったかなどを、包み隠さずにありありとお伝えしていくので、ぜひ最後まで読んでほしい。
1.【縦割り行政の限界】先の見えないトップダウン型マネジメント能力向上プロジェクト
スタートを切った「管理職におけるトップダウン型マネジメント能力向上プロジェクト」。
このプロジェクトは、一体どのような概要で、どのような結果になったのだろうか?
この章では、プロジェクトの概要と進捗状況や成果、課題についてお伝えしていこう。
1-1.プロジェクトの概要
このプロジェクトの目的は、課長以上の管理職のプロジェクトマネージャーとしての能力を向上させることだ。
このプロジェクトを実施するに至った背景には、行政マネジメント(行財政改革)を進めるために立ち上げた4つの部会のプロジェクトの全てが、なかなか進まなかったことがある。
さらにプロジェクトマネジメント能力を向上させて、官民共創の取り組みにおける民間企業とのプロジェクト進行も円滑に進められるようになることを当初は目論んでいた。
このプロジェクトを達成するために行った主なことは、以下の通りだ。
行財政マネジメント総合政策アドバイザー、Beth合同会社代表の河上泰之氏の登用
基本8項目からなるプロジェクト計画書の作成
プロジェクトでは、行財政マネジメント総合政策アドバイザーとして迎えたBeth合同会社代表、河上泰之氏のアドバイスをうけながら、管理職のプロジェクトマネージャーとしての能力向上を図った。
プロジェクトマネージャーとしての能力が向上すれば、部長課長が率先して動く組織を作ることができるはずだ。
そう仮説をたてた。
部長級職員がトップに立ち、その下に課長級職員がついて、組織運営をより効率化するための体制作りを目指したのだ。
このプロジェクトの最大の特徴は、行政マネジメント総合政策アドバイザーである河上氏の存在だ。
プロジェクトを進める中で生まれる疑問や不安に関して、いつでも質問・相談ができるという、最高の環境を整えた。
南知多町の職員には、横断的プロジェクトに関して失敗した経験しかなく、うまく回せた経験談やノウハウを語れる人材がいなかったので、河上氏にアドバイスをもらいながら進められることは大きなメリットだった。
そう、メリットとなるはずだった、のだ。
1-2.明確な成果が見られなかったマネジメント能力向上プロジェクト
南知多の組織改革として、最初にスタートした管理職のマネジメント能力向上プロジェクトは、当初思い描いたような劇的に仕事が変わり、進まなかった4つの部会がみるみるまに結果を出していく・・・にはつながらず、具体的な結果を残すまでには至らなかった。
それもそのはず、南知多ではこれまで数年間自ら組織横断的なプロジェクトを企画して実行管理する業務というのはまったくなかった。
行政としても既存業務をいかに効率的に行うか、ということをメインに取り組んできたのだ。
そういった状況にあったなかで8項目からなるプロジェクト計画書の叩き台を作ろうとしたが、これがうまくできなかった。
マネジメント能力の向上どころか、プロジェクトの計画書すら満足に作れない現実を直視した。外部人材がいたが故に、目を逸らすことはできなかった。
プロジェクト計画書の8項目
これらの他にリスクや対策、関係者への依頼事項を書くこともあるが、まずはこの基本的な8項目を埋めることに挑戦した。簡単なようでいて、慣れないと項目ごとにわけて記載することが難しい。行政の計画書をみると、多くの場合で背景と目的が混じり合って書かれていたり、KPIや目標として「打ち合わせを3回行う」等となっており目的達成とは関係ない内容であることが多い。
「そう簡単に成果が出るものではなく、難しいことを職員たちは痛感した。」
文字にすると読み飛ばしてしまいそうな一言だが、現実世界では極めて辛い事実がそこにはあった。
だが、これを直視せざるを得なかったことが、後に大きく変わるきっかけとなった。
この事そのものが、目的意識を持って泥臭く手を動かして実行することが必要だ、と強く意識する直接の理由となったのだ。
2.【意識や体質に問題あり】プロジェクトが成功しなかった原因とは
トップダウン型マネジメント能力向上プロジェクトで満足いく結果が出なかった根本原因は、行政という文化によって生成された南知多町の環境と仕組みにあった。
この章では、具体的にリアルなエピソードを包み隠さず紹介して、気付いた問題の本質についてご紹介していく。
この章で職員のリアルな反応やプロジェクトを進める難しさを感じ取っていただけるだろう。
2-1.【リアルな反応】何を相談すればいいのか分からない
行財政マネジメント総合政策アドバイザーとして河上氏を招集した。
改革推進派だった私達は民間アドバイザーを設置し、気軽になんでも質問できる環境を構築し、プロジェクトを進める中で困ったことや疑問点はアドバイザーに質問しながら、OJT的にマネジメント能力を向上させることを計画していた。
仕事で結果を出しつつ、人材も育てる。一石二鳥を狙ったわけだ。
しかし実は、プロジェクトを進行していく中で、河上氏にアドバイスを求める人が1人もいなかったのだ。
河上氏を登用したのが2021年の10月。「わからないことがあったら都度相談に乗ってくれる。」ということで、管理職の職員にもその件は浸透していた。
だが、実際には4つの部会ともそれぞれプロジェクト計画書の下書きをした直後に、計画が狂い始めた。
具体的には、進行中の内容をプロジェクト計画書にまとめるために、各部会とも基本の8項目を埋めてみて、河上氏からのフィードバックを受けて修正をすることを始めて、即座に行き詰まった。そこから3ヶ月間、相談する人が1人もいなかったのだ。
一体なぜなのか?
組織改革を中心的に推進している職員が疑問に思って聞いてみると、「何を相談すればいいかわからなかった」という答えが返ってきたのだった。この返答には、納得せざるを得なかった。
なぜなら、これまでの仕事、住民票を発行し続けることや、道路や水道の維持、学校の運営などで求められてきたことは、終わることが想定できない業務を、ひたすら継続し続けるために効率よく進めることだったからだ。
これを実現するためには、縦割りにして組織が行うべきことをはっきりさせることは必然となる。
一方で、プロジェクトは全く性質がことなる。そもそもプロジェクトは、終わることが前提だ。「一定期間で初めてやることでも結果を出す」ということがそもそもプロジェクトであり、終わりの無い仕事を継続し続けるために全てを行う既存業務とは全てが違った。
そのためそもそも、「一定期間で初めてやることでも結果を出す」ために物事を管理し進捗させる能力=プロジェクトマネジメント能力は求められてこなかったわけだ。
そんな状況で、「プロジェクトが立ち上がった背景を整理し、一定期間後に得ていたい定性的なゴールである目的、同様に一定期間後には得たい定量的な目標を整理して、チームを管理運営する能力、プロジェクトマネジメント能力を向上させましょう。
わからないことはなんでもアドバイザーに相談してね。」と言われても、何を質問すればいいかさえわからなかったのだ。冷静に考えれば、これは、ごく当たり前のことだった。
南知多が変えなければいけない根本的な対象は、このほとんど終了することがなく継続に価値があるという「行政の仕事」という特殊性が生成する、行政独自の環境や体質、もっといえば職業病だった。
いくらプロジェクトが立ち上がるからといっても、これまで行ってきた行政の仕事がなくなるわけでは無い。そのためこの職業病と完全に縁を切ることはできないため、この”病”と付き合い続けるための方法こそが、手に入れるべきことだった。
単純に座学で話を聞き、ちょっと手を動かして身に付くような、お手軽リスキリングのようなことではなかったのだ。
こうした、冷静に考えれば当たり前のことを、庁内の重要人物全員が同時に経験したことがきっかけで、問題の本質に気づくことができたのである。
知識として知っていることと、体感を通じた学習とではその後の変化が大きく変わる。そんなことさえも経験できたことが、いまとなっては本当に良かったと思える。
ぜひ読者のみなさんには、次章の失敗エピソードも含めご笑覧いただき、同じ失敗をさけ、より前に、1日でも早くより前に進んでいただきたい。心のそこからそう願っています。
2-2.いまだから言える南知多の失敗エピソード
同時期に、これまでの話とは全く別の確度から、プロジェクトマネジメントに真摯に向き合わないといけないと実感した出来事があったので、お伝えする。
庁内組織再編手続きに対する議会の指摘である。
本来なら、自治体が組織再編をするためには議会へも丁寧に説明を行って進めていくべき事項である。しかし、当時の役場の手続きにおいては、組織再編に関する議案を議会に提出し、そこで議会へ説明を行ったのだ。
このことについて、議会側から説明責任を果たしていないと指摘を受け、町民の代表である議会の声として真摯に受け止めたのである。
なお、繰り返しになるが、これは職員個人に責任があったわけではない。
南知多町は、行財政改革を10年間行ってこなかったという事実があり、そういった事情により、職員が育っておらず、だから当たり前のように失敗したのだ。
10数年前にプロジェクトマネジメントや組織改革を行ってきた幹部が抜けてしまって、現管理職員にノウハウなどをうまく伝達されていなかったことが、今回の失敗の遠因ではないかと考えている。
我々も人間であるため、どんなに努力をしても、はじめてやる事全てが100点満点とはいかない。
環境によって人は形作られ、それ故に特定のことは秀でるが、それ以外は疎かになる。こういった原則があるからこそ、組織改革では、人ではなく環境を憎むことを鉄則とする。
そこで我々も、環境を変えて、職員ができることを増やすことに注力した。
我々が民間人材を登用してまで環境を変えて、何を手に入れようとしたのか?
「南知多町に足りないものは、新規プロジェクトを進める上でのマネジメント能力である」
この大きな失敗は、南知多町にとってマネジメント能力向上の必要性を再認識し、この組織改革を大きく推進する十分すぎるきっかけとなった。
3.【迫られた衝撃の選択】南知多町をやめますか?単独で生き残りますか?それとも合併されますか?
行財政マネジメント総合政策アドバイザーとして、Beth合同会社の河上泰之氏を迎えた2021年10月。中心メンバーである3人の職員と河上氏によるミーティングが、zoomにて行われた。
南知多町の現状について共有する中で、河上氏の感想や初めてのアドバイスはどのようなものだったのか。
当時の打ち合わせの録画より、対話の一部を抜粋してお届けしよう。
3-1.河上氏から衝撃を受けた究極の問い
堤田「財政状況はまずいって話は、絶えず幹部にも説明していて発信はしているけど、その幹部自体がそういった決断をしなくてもいい環境に浸かってしまっている。」
河上「はい。」
堤田「それを打破するために、河上さんを登用して、何がわかっていないか、何をすればいいか、理解することから始めましょうと言う話だったんですが、そもそもその前の段階だと言う本音を今日やっと聞けまして…」
河上「なるほど。」
堤田「そもそもそこが決まっていないと、この今日のzoom会議の場に立つこともできないと言われてしまっている状況です…」(注釈:これが3ヶ月間相談する人が一人もいなかった生々しい現場)
河上「ほ〜なるほど〜。」
堤田「なので、環境に慣れきってしまったんで、どう動けばいいか、どうすればいいか…」
河上「そうだったんですね。一旦決めた計画を、やっぱりどうするってなるのは、まあ仕方ないのかなぁと言うところもある。でも、今日打ち合わせに来ないっていう「決断ができた」のも、考えて決断しているから、ある意味前進といえば前進。」
堤田「そういってもらえると、ほっとするところではあります笑」
この会話から、総合計画の行動計画や組織図に関する討論が20分ほど続いたのちに、河上氏が突然口を開いた。
河上「言っちゃいけないことを言ってもいいですか?(笑)」
堤田「どうぞ、どうぞ(笑)」
河上「社長さんと会話する時によく話すのが、『この会社あと何年やるんですか?』ってよく聞くんですよ。」
堤田「はい」
河上「社長さんって高齢の方が多いので、『実はやめたいんだよね〜』とか言われると、『DXとか無理にやらずにのんびりやればいいんじゃないですか?既存社員については、転職先を支援することで責任を果たすっていう選択もありますよ。』ってことを伝えるんです。」
堤田「…はい」
河上「そういうことを考えていった時に、南知多町は先を考えると、存続できなくなるかもしれない。このまま何も変わらずにダラダラやり続けていって、合併して解散っていう選択があってもいいんじゃないか、と思うんです。」
堤田「うん…」
河上「でも残したいと思うのなら、何をすればいいか、ビジョンから逆算ができるんですね。」
堤田「…」
河上「一方で、まいっかと、まあしょうがないと、隣町と合併しようぜって話になると、話が変わってくる。少しでも有利に合併できる道を模索するとか。そういうのを、少し考えてみるっていうのもいいと思うんです。こんな選択肢もあるけどどう思うか、ぶっちゃけトーク的な感じで、幹部の意見を聞いてみるといいと思います。」
堤田「…」
河上「その結果、南知多町をやめるのか、続けるのか、緩やかに穏やかに解散に向かうのか、話してみるのもいいと思います。」
堤田「(苦笑)」
河上「ただ、今入ってきた若手の一年生や二年生の人たちからすると、え?っていう話にはなると思うので(笑)」
一同「(大笑)」
河上「緩やかに解散に向かうのなら、これから入る新卒の人には、10年後なくなるよってことを伝えないといけないですし、その後の転職支援という形で責任はとらないといけないですよね(笑)」
河上「でも真面目な話、単独で生き残るか、合併する側として合併するのか、合併される側で合併するのか、っていう3つの選択肢があって、それを選択するのかってことを、具体的に話し合ってみてもいいと思います。」
「南知多町をやめるのか、続けるのか」という、河上氏の単純な問いに対して、正直どう言葉を返していいのかわからなかったと振り返る南知多の職員たち。
挑戦せず、黙ったまま地元が消えてもいいと願う自治体職員は、日本中どこを探してもいない。少なくとも我々は、「南知多」を残したいし、残せると確信している。
このzoom会議を通して、南知多町が置かれている状況について、初めての視点から考えることができたし、自分たちがやらなきゃと、さらに情熱を燃やすきっかけとなったことは確かだ。
4.南知多町の転換点になったグッドジョブ運動
「トップダウン型がダメなら、ボトムアップ型はどうだろう?」
「係長以下の職員の中かでプロジェクトリーダーを生み出してみては?」
そこで次に構えたのが、「係長以下の職員からのボトムアップ型プロジェクトリーダーの育成プロジェクト」だ。
このプロジェクトでは、若手のプロジェクトリーダーの能力向上に成功するなど、さまざまな成果を得ることができた。
このプロジェクトを支えたのが、グッジョブ運動・グッジョブ大会である。これには企画政策係長であり担当者の奥村氏(現在は成長戦略室へ異動)が、愛知県に出向した際の経験が大いに役立った。そのエピソードをご紹介していこう。
4-1.愛知県庁で盛んに行われていたグッドジョブ運動
奥村氏は、愛知県の実務研修生制度(職員を愛知県へ出向させる町の取り組み)を活用して、愛知県の市町村課に出向した。
出向先の市町村課での主な仕事内容は、愛知県の各市町村のための仕事、交付金の算定精査、ヒアリングなどだ。
奥村氏は出向直後から、県の組織としての完成度の高さに驚いたという。同時に、自分と同じ立場である他の研修生のレベルの高さも感じたそうだ。町だと曖昧になりがちな事柄でも、愛知県の職員はとことん突き詰めて判断して進めていた。そんな環境の中で働くことは、刺激的だった。
奥村氏が出向中に経験した取り組みで、のちに南知多町でも取り入れることになる取り組みがある。グッドジョブ運動(業務改善の提案やプレゼン)だ。
これを持ち帰った背景には、奥村氏の経験があった。過去に業務改善についての企画書を提出したことがあったのだ。
企画書を提案するような組織風土や文化は南知多町にとってもメリットが大きく、南知多町に取り入れていきたいという思いが以前からあった。その業務を担当している職員の提案が賞賛されるものであってほしい…そんな思いと愛知県での出向の経験から派生して、ボトムアップ型プロジェクトリーダーの育成は進んでいった。
3記事目では、南知多町での改革の転換点となったボトムアップ型プロジェクトリーダーの育成について、詳しくお伝えしていく。