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幕末から明治にかけて大活躍!海の男の熱いロマンを感じる大豪邸

内田佐七って誰?

伊勢湾と三河湾の2つの海に囲まれた、知多半島南端の南知多町。
東海地区でも屈指のビーチリゾートとして夏には大勢の観光客が訪れますが、南知多町で必ず行くべきスポットはビーチだけではありません!
特に歴史マニアや建物マニアにはたまらない大豪邸が残されているのです。

それは……、旧内田佐七家!!(ちなみに国の重要文化財)

そもそも「内田佐七って誰?」という人がほとんどかもしれませんが、
内田佐七さんは4人います

なんだか急にミステリーっぽくなりましたが、
昔の日本では子が家を継ぐとき、屋敷と一緒にお父さんの名前を継ぐ慣習がありました。

さかのぼること江戸時代の文政元(1818)年、初代内田佐七さんが小さな船を買い求め、海路で荷物を運ぶ船主を始めたことから物語は始まります。
商売上手だった初代は小さな船からすぐに弁財船(べざいせん)とよばれる大きな船に乗り換えて事業を大きく展開しました。

弁財船の模型

この弁財船というのがなかなか優秀な船でして、大きな一枚帆に風をぐいぐい受けて速く進むことができ、さらにはたくさん荷物を積めるので「千石船(せんごくぶね)」ともよばれていました。

車も電車もましてや飛行機もない時代、遠くまでたくさん荷物を運べる手段といえば船がいちばん! 経済の発展に物流が欠かせないは今も昔も同じです。

ちなみに尾張藩(現在の愛知県)が把握した概ね200石以上の船のことを「尾州廻船(びしゅうかいせん)」といいますが、なかでも南知多町を拠点に江戸や瀬戸内を行き来した廻船集団を内海船(うつみぶね)とよびました。

その内海船を代表する船主が内田佐七家だったのです!

ウワサの大豪邸へ潜入!

現存する旧内田佐七家住宅が完成したのは明治2(1869)年の二代目の頃。
明治に入り、難破が相次いだり、3代目が早世したことに加え、物資輸送の主力が鉄道に移ったため、船主を廃業しましたが、四代目の時代にはバス会社を作って乗合バスを走らせたり、観光パンフを作って南知多地域を宣伝したり、ついには町内に温泉を掘り当てたりと次々に新しい事業を展開し、観光地としての南知多町の発展に尽力してきました。

……さて、ここまで4人の内田佐七さんについてお勉強した後は、いよいよ旧内田佐七家住宅の見どころをご紹介したいと思います。

そこで強力な助っ人として、南知多町役場 社会教育課の杉本さんにお話を伺いました!

今では旧内田佐七家住宅を知り尽くす杉本さんではありますが、「最初の頃は家が広すぎて『今どこにいるの!?』と迷子になりました(笑)」と話します。
さすがは内海船を代表する船主の豪邸ですね!

家の中に神社がある!

「建物自体は江戸末期の裕福な庄屋格によくある構造ですが、なかでも船主の屋敷として特徴的なところが“神屋(かみや)”です」と杉本さん。

左が仏間             右が神屋

一般的なお宅では神様を祀る場として神棚がありますが、神屋とは分社した神社そのものを家の中に祀った部屋。旧内田家には熱田神宮・伊勢神宮・金毘羅宮・多賀大社・秋葉神社と全国各地の有名どころが5社もずらりと並んでいます。

「当時の内田家では客から預かった荷物を運ぶだけでなく、遠くで買い付けた商品を別の土地で高く売る商売で成功していました。ですから船が難破したり、航海そのものが失敗したりすると、いわば自分たちの財産である買い取った商品をすべて失ってしまうのです。まさにハイリスク・ハイリターン型の商売といえますが、そのため船主は自然と信心深い傾向があるようです」

「ちなみにこれは普段公開していないので、言っていいのかわかりませんが……」
と、前置きした後で杉本さんがこっそり教えてくれたプチ情報を一つ。

「神屋の隣にある「おでい」という内田佐七家の当主の今や接客の場として使われた部屋の上にはイガグリがいっぱい敷き詰めてあり、大切な場の上をネズミが走らないようにしていたそうです。初めて見たときはけっこう衝撃的でしたね(笑)」
残念ながら見学はできませんが、「おでい」の前で「この上に明治2年のイガグリがいっぱいあるのかぁ……」と想像を膨らませるのも一興かもしれません。

屋久杉造りのVIPルーム!?

そしてこの屋敷のなかでも一番格式の高いお部屋が座敷です。

屋敷で最も格式の高い座敷

「こちらは船主の会合や冠婚葬祭など、特に大事な行事にのみ使われていた一画です。普段の生活には一切使われていなかったので、建物のなかでも特に保存状態がよい場所です」

ちなみにこのお部屋の一部の天井板にはなんと屋久杉が使われているとか!
さらに、内田家の座敷にある欄間には一枚板が使われており、デザイン性のある細工がなにも施されていません。
これは敢えて美しい一枚板の木目を楽しむためだったのでは……? とのこと。

う~ん、なんて粋なはからいでしょう!
こんなマニアックなポイントも建物好きにはたまりません。

さらにもう一つ面白いのは、内田佐七家住宅のお隣にある分家の内田佐平二(さへいじ)家です。

佐平二家全景
佐平二家西側道路からの写真  土蔵と主屋の一部

「まさに本家のミニチュアバージョンといった感じ。構造は内田佐七家とそっくり同じで、そのまま縮小したような建物です。本家の商売を分家はよく助けていたので、そういったところもまとめて見てもらえるのが魅力です」

こちらの内田佐平二家住宅では、町内を拠点とする画家や書家、陶芸家、ガラス作家といったアーティストの作品を展示したり、ワークショップを開催したりと、四季折々にさまざまなイベントが企画されています。

毎年、東京フィルがやって来る!

そして本家で開催される一大イベントといえば、秋の夜長コンサートです。

「ご縁があって東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーの方に毎年来ていただいています。音の響きが一般的なホールとはまたひと味違いますし、何より距離が近いので迫力のあるプロの演奏を臨場感たっぷりに楽しんでいただけます」

曲目は誰もが聴いたことのある楽曲が中心ですが、特に屋敷の雰囲気にぴったり合う「赤とんぼ」を毎年演奏してくれるとか。
2023年も10月初旬に2日間に渡るコンサートを予定されています。

……このように魅力たっぷりの旧内田佐七家ではありますが、入場料は大人300円(中学生以下は無料)と良心的なプライス!

毎週日曜日にはボランティアガイドさんが待機され、事前予約でほかの曜日でもガイドさんに案内をお願いすることが可能です。

南知多町を訪れた際には、必ず足を運んでみてくださいね!

尾州廻船内海船船主 内田家 公式サイト


WEBライター 中尾潤子

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